季節は初夏の頃、シーズンオフの一里野高原スキー場は新緑が青々と茂り、人影はほぼなく、澄み渡る空と迫りくる白山の山並みに圧倒されました。ケリエ山荘はゲレンデ前のホテルの中でも一番奥に建っていて、更にその奥はまた山並みの森の中に国道が消えていきます。
車を止めてケリエ山荘のロビーに入ると、初夏とはいえ未だ厳しい冬の寒さの残り香を感じる程空気が冷たく、とはいえつい最近までは営業を続けいてた様子もうかがえました。フロントの奥の部屋で寝ている女将さんは、末期がんの痛みと懸命に戦っているとのことで、人と会える状態ではなく、依頼人とともに館内を見回り、その日は早々に引き上げました。
私のミッションはこのホテルの再生です。年々集客が先細りとなっている一里野高原スキー場では、雪不足のシーズンは厳しい赤字経営、冬に雪が降っても、春・夏・秋と1年の4分の3はシーズンオフですから借入も累積し疲弊していました。
再生の第一段階は、現場をよく知ること。一里野で営業を続けるホテルに複数回泊まり、泊まったホテルの支配人、オーナー様のお話を伺い、問題点・可能性・強み・弱みを徹底的に熟考しました。現場を知る期間は1年にも及びました。
何度も何度も通っているうちに新たな発見があり、その土地の空気、水、土、出会う人たちと心が通い合うようになると、初めは霞のようだった再生へのアイディアが、目の前で、
手でつかめるような仮想化現実へと進化していきます。
そうこうしているうちにガンで闘病中であったケリエ山荘の女将、依頼人のお母様が亡くなりました。亡くなる直前にお母様に病室に呼ばれ、「ケリエ山荘を頼みます。」と言われた瞬間が今でも蘇ってきます。
その後まもなく、再生の準備は整いました。星野リゾート出身のコンサルチーム、地元金沢出身の現場運営スタッフ、修繕工事の施工会社、再生の資金調達を支えるスポンサー、経営の税務・法務を整備する税理士・弁護士、その他のご支援を頂いた関係者は延べ人数で30名以上にのぼります。
2020年7月末、人類にとって未曽有の脅威、新型コロナウィルス蔓延の真っ只中に、新生ケリエ山荘は再スタートを切りました。
先細り感のある一里野高原スキー場、新型コロナウィルス蔓延による旅行需要の減少、東京オリンピック延期によるインバウンド需要の壊滅等、再スタートへの反対意見大合唱を突き破り、時期としては最低最悪期の船出となりました。
しかし、「再び人が集まる、温かいホテルにしてください。」という亡き女将の思い、再生に携わったメンバーの情熱によって、再スタートと同時に予想を遥かに超えたお客様にお越しいただきました。コロナの不安に動揺する都市部の喧騒を逃れ、奥深い自然の中の澄み切った空気が最大の商品ともなりました。
あらゆる逆風を跳ね返しての、ケリエ山荘の再生。ただ、裏を返せば、時代の流れ頼みのインバウンドニーズも予定しない、また何らかの観光資源にも寄りかからない、その土地の潜在能力のみで勝負する、強力なホテル再生モデルとなったと思います。
改装前のケリエ山荘